東京地方裁判所 昭和63年(ワ)14552号 判決 1990年11月28日
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
木下哲雄
被告
乙山花子
主文
一 被告は原告に対し、金一一〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
四 この判決は第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は原告に対し、金三三〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告が被告から原告被告間の子月子の養育費等を要求されたが、その際原告の名誉、信用、医師としての体面、私生活の平穏業務の円滑な執行を妨げられ、不法に精神的な苦痛を味わわされたとして、被告に慰謝料を請求している事件であり、被告の右不法行為の存否がその争点である。
第三争点に対する判断
一本件不法行為に至る経緯
<証拠略>(被告本人尋問の結果中この認定に抵触する部分は採用しない。)を総合すれば、次の事実を認めることができる。
1 原告は、A大学の学生であった昭和五〇年七月ころ被告と知り合い、昭和五二年四月ころまでの間に数回肉体関係をもち、被告は、昭和五三年一月一九日婚姻外の子乙山月子を出産した。
2 被告は、昭和五七年四月月子の法定代理人親権者として原告に対し認知請求の訴えを提起し、被告も利害関係人として右事件に参加して、同年一二月二四日に訴訟上の和解が成立し、原告は月子が原告の子であることを認知し、被告に対し和解金三四二万七〇〇〇円、昭和五八年一月一日から同五九年三月末日まで養育費として月額五万円を支払うこと、昭和五九年四月以降の養育費は被告と原告の代理人の弁護士が協議することとし、被告は原告代理人の弁護士を介さないで直接原告本人に協議を申し入れないこと等を合意した。
3 原告は、昭和五九年三月大学院を卒業し、同年四月都内のB病院に就職したが、このころから被告は、直接原告本人に対し月子の養育費の増額を求め、原告の仕事中に電話をかけ、原告の勤務先の上司に働き掛けたり、原告の自宅に貼紙をし、隣家に「養育費を支払うよう(原告に)伝えてください。親子とても苦しんでいます。」という内容の置手紙をしたりしたので、原告は、このような被告の態度に耐えかねて、昭和五九年六月ころ東京家庭裁判所に養育費確定の調停を申し立て、昭和六〇年七月一八日調停が成立した。右調停において、原告と被告は、昭和五九年四月から昭和六〇年までの養育費を一か月六万五〇〇〇円とし(支払い済み)、昭和六〇年七月から月子が成人に達するまでの養育費を定め、昭和六三年四月以降の養育費の改定は家庭裁判所の調停又は審判で定めることにし、月子が成人に達するまでの間入学金、授業料及び医療費は全額を原告が負担することにした。
4 ところが右調停成立直後から、被告は原告に対し月子の学習塾の費用を負担するよう要求し、原告が調停条項にないことを理由にこれを拒否すると、被告は原告の勤務先の病院に押し掛けて病院長に面談を求めたりしたので、原告は勤務医としての体面もあるため原告の要求に応じざるを得ず、昭和六〇年一〇月、原告と被告は協議の結果、原告が月子の学習塾の入学金、授業料及び交通費を負担することとし、被告は分別ある行動をとり、原告に迷惑をかけないことを合意した。
昭和六〇年七月成立の調停条項には、月子の医療費を原告が全額負担するという趣旨の条項があるところ、原告の真意は公的保険の適用を受けない本人負担部分を肩代わりして支払うということにあったのであるが、右条項があるため月子の医療費については公的扶助が受けられず、自由診療ということで原告が全額負担している状況にあり、原告は、右医療費の問題の解決と、自分を親権者にすることを目的として、昭和六一年二月東京家庭裁判所に調停を申し立てたが、右調停は成立するに至らなかった。
5 原告は、被告との接触を避けるため、昭和六一年九月B病院を退職し、規模の小さな診療所を経て、昭和六二年四月、C県D市のE病院に就職したところ、被告は、昭和六二年九月ころ、原告の収入が変わったことを理由に、養育費増額の調停を申し立て、一か月二七万円(三月、七月及び一二月には五〇万円)の養育費を要求したが、この調停は審判に移行し、平成二年一月二五日申立却下の審判があった。
6 原告は、昭和五七年一二月の和解成立以来今日まで、以上の和解、調停で合意した養育費の支払を一回も怠ったことはなく、昭和五三年一月から平成元年六月までに、養育費等で一一三〇万円を被告に支払っている。
二被告の不法行為及び慰謝料
右一の事実と<証拠略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる(被告本人尋問の結果中この認定に反する部分は採用し難い。)。
1(一) 被告は、昭和六三年一月二一日午後七時ころ、前記E病院に勤務中の原告をF駅に呼出して、原告に対し金銭を要求し、原告が被告と月子を車でG駅まで送ると、ホテルを探すから待って欲しいと言って月子を車中に残し、同駅方面に姿を消したまま戻ってこないので、駅の構内放送で呼び出したり、駅前の交番にも捜索を要請したりしたが、所在がつかめなかったところ、その間被告は原告の自宅に押しかけ、原告の妻に対し、原告が月子を誘拐したと大声でどなり散らし、駆けつけた警察官に対しても、原告が月子を誘拐したといいたてた。
(二) 被告は、昭和六三年一月二二日午前、原告が勤務中のE病院を訪れて面談を要求し、原告が診察中であることを理由に拒絶すると、被告は同病院の秘書課長に対し、院長に会わせろと要求し、課長からこれを断られると、医師による診察が必ずしも必要ではないのに、眼科の外来で月子を受診させ、費用は原告に請求しろとか、原告の給料から差し引くようにとか要求し、同日午後も、被告は同病院に押しかけ、荷物を外来待合室のソファーいっぱいに広げて居座り、このことは間もなく病院内の者に知れ渡るに至った。
(三) 同月二三日午前一〇時ころH温泉の旅館から原告に電話があり、被告から代金は原告からもらうようにいわれているがとの問い合わせがあったが、原告がこれを拒絶すると、被告はまたE病院に押しかけて原告に金を払えと大騒ぎし、やむなく原告が右病院の応接室で応対した後、被告を車に載せて旅館まで送り自宅へ戻ったところ、また被告は原告に対し、電話で「話は終っていない、F駅まで出てこい、来ないのなら、また自宅へ押しかける」と脅迫した。
2(一) 被告は、昭和六三年八月二〇日午後八時ころ、F市のホテルから電話で原告を呼び出し、「明日どこかいいところへ案内してほしい」と要求し、この要求を拒否すれば、また病院や自宅に押しかけられると思いやむなくこれを承諾した原告をして、同月二一日野尻湖、志賀高原等を案内させた。
(二) 被告は、翌二二日再び電話で原告を呼び出し、午後七時ころホテルの近くの食堂で、「これからの養育費をまとめて一〇〇〇万でも二〇〇〇万でも払ったらどうなの、そうすれば私もこうやってガタガタ騒ぐ必要もない」といって養育費名目の金銭を要求した。
(三) 被告は、同月二四日、前記E病院に押しかけ、外来受付で院長に会わせろと要求し、断られると医師による診察が必ずしも必要な病状ではないのに月子を眼科に受診させ、受診料を支払わずに帰った。
(四) 被告は、同月下旬原告の出身大学の恩師に電話で医療費のことで相談がしたいと面会を申し入れ、間もなくこのことを知人から聞かされて被告が原告の恩師にまで迷惑を掛けていることを知らされた原告をして当惑せしめた。
3 原告代理人が被告に対し、昭和六三年九月五日到達の書面で、原告は今後和解、調停で合意した以外の金員を支払わないこと、職場及び自宅への訪問架電等方法の如何を問わず、原告の友人、知人、親族、恩師に対する原告の名誉を毀損する内容の言動をしてはならないこと、右に反したときは原告は法的手続を執ることを通知警告したにもかかわらず、
(一) 被告は、昭和六三年一〇月九日午後五時半ころ、原告に対し電話で「今Fのグリーンホテルに泊まっている、話があるから来てほしい」と要求し、原告がこれを拒絶した後も度々電話をかけ、そのため原告をして電話のコードを抜かざるをえない程困惑させた。
(二) また被告は、同月一〇日、月子をつれて前記E病院に押しかけ、医師による診察が必要な病状ではないのに救急外来で月子を受診させて受診料を支払わずに帰り、同日午後六時ころ、原告に電話で「どうしても話したいことがある。会ってくれれば今日帰るが、会ってくれないなら、また明日病院に行く」といい、やむなく出向いた原告に対し「宿泊費用がないので金を貸してくれ」と要求し、原告がこれを拒絶したところ、同日午後七時半ころグリーンホテルをして原告に被告の宿泊料金を負担するかどうかについて問い合わせをさせた。
被告の右一連の行為は常軌を逸し、執ようで、もはや権利行使の方法として許された範囲を越えており、原告の正当に保護されるべき名誉、信用、医師としての体面、平穏な生活を営む権利を不当に侵害する不法行為というべきであり、被告の右不法行為により原告は著しい精神的苦痛を強いられたものと認めるのが相当である。
したがって、被告は、原告に対し、民法七〇九条、七一〇条により損害賠償の責任があるというべきであるが、被告が右行為に出るまでの経緯や原告においても毅然とした態度に欠けていた点のあること等諸般の事情を考慮すると、原告の受けた精神的苦痛を償うべき慰謝料の額は一〇〇万円と認めるのが相当である。
三弁護士費用
原告が本件訴訟追行を原告訴訟代理人に委任したことは当裁判所に顕著であるところ、被告に負担を命ずべき弁護士費用としては金一〇万円が相当である。
四結論
以上によれば、本訴請求は、原告が被告に金一一〇万円とこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和六三年一〇月二八日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余は失当である。
(裁判官小川英明)